絶望の後に奇跡が訪れる2016/09/27 11:06


2011年3月11日に東日本大震災が起きました。
あの未曾有の大災害が起きてからもう5年半が経ちました。


あの時に感じたことをお話しします。
あの世界最大級の地震による津波によって、街が消え去った後の映像を見た時に自然のパワーとその怖ろしさを実感しました。


あまりの凄さにただ呆然としていました。そして言葉には表すことができないような「無常」を感じたのです。


 それでは、無常とは何なのでしょうか?




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 無常とは

 ウィキペディアでは、「無常」を次のように説明していました。
世界のすべてのものは生滅して、とどまることなく常に変移しているということを指すと。


釈迦は、その理由を「現象しているもの(諸行)は、縁起によって現象したりしなかったりしているから」と説明しています。お釈迦様の言う「無常」は、我々には理解することが難しい概念です。しかし、なんとなく分かります。


 お釈迦様の言う「無常」を私は次のように理解しています。

「永遠なるもの」を追求し、そこに美を感じ取る西洋人の姿勢に対し、日本人の多くは移ろいゆくものにこそ美を感じる傾向が根強いと思っています。


「無常」「無常観」は、中世以来長い間培ってきた日本人の美意識の特徴の一つと言っていいでしょう。




 東日本大震災で行動が変わった

 東日本大震災が起きるまでは、無常をなんとなく身体で感じていたのだと思います。しかし、東日本大震災が起きてからは考え方が変わったと思っています。ほぼすべての日本人が何かをしなければ・・・という使命感を抱いたのです。


 なぜ、このような心理の変化が起きたのでしょうか?

と考えていると、人間というのは絶望感を持った後に、その状況を変えようと必死で頑張れるのだ・・・と。


この巨大地震は、まさに私を絶望の淵に落とし込むだけのインパクトがありました。それゆえに「無常」を感じたのでしょう。


 歴史をふり返ってみると、幕末にペリーがやってきた時に、黒船を見た人たちは何を感じたのでしょうか?

技術力の差に圧倒され、到底叶わないという絶望を感じたと思います。まさに文明の差に怖れおののいたと思います。


そして太平洋戦争が終結した日に、天皇から日本が負けたことを聞かされて、国のために頑張ってきたのに・・・という絶望感を味わいました。


今回の地震は、黒船や敗戦と同じだけのインパクトがあったと思っています。それだけ、日本国民に「無常」を感じさせたはずです。




 絶望の後に奇跡が訪れる

 黒船や敗戦の後、日本はどうなったのでしょうか?
そうです。奇跡の復興を遂げたのです。


幕末を経て、日清戦争、日露戦争に勝利したことで、世界の貧しい小国が世界有数の国になったのです。太平洋戦争後は、敗戦の廃墟から高度成長期を経て「ジャバン アズ ナンバーワン」とまで言われる国になったことを覚えていると思います。


3/11日に起きたM9.0の巨大地震は、日本国民を覚醒させるきっかけになるのではないかと感じたのです。


このような負の遺産を背負い込むことで、日本人が国を復興させるために団結できる土台ができたと思っています。そう感じたからこそ、何かをしなければならないという気持ちが湧きあがってきたのだと思います。


多くの日本人は、自分のおかれた環境の中で最善を尽くすことが日本人としての誇りある生き方だと考えています。




 最後に、なぜこのような話をしたのかというと、投資をしていて大失敗をすることはけっして少なくありません。実際ににそういう状況になれば、誰もが絶望を感じます。しかし、それは逆にチャンスだと考えて欲しいのです。


この絶望を乗り越えた後に輝かしい未来が待っているからです。そういう絶望を乗り越えて億万長者になった人が少なくないのです。


絶望の中でも、自分に何ができるのかをよく考えて実行してください。それが立ち直る最良の道だと思います。ぜひ、身近なことから取り組んでください。




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